曖昧な生活
恋人イクことCOVID-19によって、いわゆるホワイトカラー層の働き方だとか、社会の在り方なんて呼ばれるようなものが変わって3か月が経とうとしているらしい。主にホワイトカラー層の働き方が在宅化する一方で、ブルーカラー層は対面が制限されるがために圧倒的な苦境にある。いずれにせよ一つの時代転換を迎えているらしい。
私は、日々漫然と学び、計算して、本を読み漁るだけの、依然と代わり映えのない生活を送っている。元が出不精なので、一人暮らしだろうと一週間外出しないなんてことはザラにあるが、これも依然と変わらない。
移ろいゆく世の中の趨勢の中で、自分のような、ある意味絵にかいたような学生の像だけは変わらないんじゃないかな、なんて妄想もむくむく膨らんでいくね。
一生非本質に惑わされていなよ、非本質共。おれは本質をやっていくから。という気持ちでいっぱいであるが、おれはアルバイト収入と奨学金でもっぱらの生計を立てているからこんなことが言えるのだろう。奨学金が断たれたら即学問をやめるしかない。
同じ生活をもう何年も続けすぎたせいなのかわからないけれど、学生じゃない生活なんて想像する暇を得ないために学び続けるのか、それとも本当に学ぶことを愛しちゃっているのかわからなくなってきた。22卒向けのXXナビなんかの広告を手当たり次第にブロックするだけで手いっぱいだ。いずれにせよ、早く死にたいと思う。
推し
推しが死にました。2か月前、発売開始日にチケットを購入して、ずっと楽しみで、私の語彙でいうところの生き甲斐になっているライブの半月ほど前に。
wowakaさんは、今も昔も、私の救いなので。
こんなに世界を愛そうとして、世界を受け入れようとした人を、世界はこんなに簡単に裏切ってしまうのか。
ふうん。
でも、wowakaさんに救われた我々には、あの人が愛そうとした世界を呪うことなんてできない。
なんてこった。理不尽な。
救いがない。いや、wowakaさんが救いの一つだった世界なのだから、救いは減ってしまったのだけど。
私が価値判断を進んで行うことはしたくなくて、これはなぜかといえば私が懐疑論者の立場を取りたいと願う者であるからなのだけど、判断保留なんて言っていられないくらい、今の私の感情は揺れている。wowakaさんを失ったこと、あの人のいない、あの人が新しい救いをもたらすことのない世界への悲哀。wowakaさんを、過去、殊更には、もう7年も前だろうか、あのときに生徒として過ごしていた、どうでもいいお前たちの、いわゆる青春時代(笑)の象徴として彼を勝手に祭り上げて、「中学生の頃めちゃハマってたwowakaさんが死んじゃったの!ショックやばい~」なんてポエってみて、wowakaの死を悼む自分に酔いしれることであの時代に思いを馳せて勝手に気持ち良くなって、「あの時代」の後のwowakaを暗に全否定して抹殺した生ゴミ共への怒り。wowakaがいなくなった世界で、きっと今後また新たに「推し」「救い」なんて言って拠り所を何とか見つけて、wowakaのいない世界でそれなりに生きていきそうな自分への苛立ち。あらら、書いてみたらなんて心が揺れてるんだろう。世界に関心をもてない、なんて言って気取ってたおれは誰だったんだ。
one-Me Tourの録音聞きながらこんなこと考えてごめんなさい。
どうやって世界を愛せるかな。
いつだって転がり続けるんだよ。
「あなた」にはもうどうやったって「僕」が見えなくなっちゃったね。少し元々抱いていたあの歌詞へのニュアンスからはズレるけど。
ローリンガールとか、裏表ラバーズとか、ワールズエンドダンスホールとか、そりゃ厨房だった自分がそれなりに入れ込んでた過去もあるけど、ロックなんて聞かなかった私がロックを聴くようになって、生ゴミ厨房時代からしばらくして、ヒトリエを再発見して以降、追いかけていられた時間が、あんまりに短くて、まあ到底無理だとはわかっていてももっと早くあの救いをおいかけられていたら、生で一度でも見れていたら、なんて反実仮想は何も誰も幸せにしてくれないよね。でも、ボカロをいじってた頃のあの人の音がバンドに落とし込まれて、あの人自身の声であの人自身の言葉を表現しているのを聞いた時、「歌下手だけど、なんて救われるのだろう!」と思って、世界に対するルサンチマン太郎御年21であるところの私は一発で惹き込まれて、もう4桁回はアンノウン・マザーグースを再生しているし、ボカロがリードやってる動画のほうの音も、ヒトリエだ!打ち込みじゃない!なんていちいち感動してやっていたの、あれが救いじゃなかったら何だってんだ、と思っているよ。つまり、絶対に忘れられないということ。原体験、主観的に言えば神の存在にビビっときちゃった宗教者の体験みたいなものだもんね。
まだまだ聞き込める録音が幸いなことにたくさん残されているから、私はそれらと生きていこう。それと同時に新たに救いを創りだせるように、もっと沢山音楽して、磨かなきゃ。大丈夫、あの人がいなくたって私たちにはあの人の音があるんだよ。
あの人について、世界で、せめて私だけは、過去形では語らない。
1浪の冬にりななんが死んだのすらいまだに受け入れられてない私が受け入れられるとは、思わないけれど。私の推しが3年で2人も、若くして死んでしまうと私死神か?なんて妄想してしまうけれど。
泣けたら、せめて楽になるんかな。や、心なんて一生不安さ。
推しの代わりに死ねたら、と思うのはこれで2度目だし、死にたいと思うのはどうせ一生なのだろうし、妥協じゃなくてルサンチマンたることが私であることなんだと思っていたい。
今日の文章は、真っ白な頭で書いているから、論理がすべて破綻していると思うけど、これは私が外界からの刺激に対して反応したことだから、ひとつの生存記録として。ああ、なんて価値がないんだろう。罠で価値なんか存在しないか、最初から、概念としては。規範なんて私のモノだけ世界にあってたまるかって感じ。あ、モノだけ世界だから、実体を持たなくなったwowakaは、とはいえ音として存在し続けるから永遠になったものだと思っています、私は。deviceの問題はあれど。
おなかがへらない、眠れない
そんな一日が今日も来ただけ、大丈夫
推しの存在に感謝。
推しの不在は存在しているからね、在らぬじゃないから。
2019/01/20
死ね
- Fin -
2019/01/18
オ ハヨ ヨノ ナカ
歌をリズム通りに文字に起こすと怪文書みたいになるのに、音にするとニュアンスが出るのってすごいよね。でもそれを表現できず、今日も、おれは、早く死にたい...。こんにちは。残念ながらまたお目にかかってしまいましたね。
野田洋次郎の音楽性、いけていて、冬に摂取すると抑鬱状態になれておれは推しています。
そんなことより、どうしてこんなこと*1になったのか、という原因すら私は忘れてしまっている*2のですが*3、それを思い出す一助になりそうなことを書けそうだと感じたので、Twitter*4に投稿しかけたのを思い直して、こちら*5に投稿しなおしたというわけです。
さて、その原因、一言で言えば「不愉快さを語ることでさらに不愉快になるから」だというのを、不愉快さについて語りかけて口をつぐんだとき*6に思い出しました。なぜ不愉快さについて人が語るのかといえば、
①不愉快さについて語り不愉快さを他人に撒き散らすことで鬱憤を晴らす
②不愉快なときは不愉快さの原因しか視界に入らなくなるので、何かにつけ言語を発そうとする人間*7はそれについてむやみやたらに語り、言語化することで自分の不愉快がより明確化されてより不愉快な気持ちになる
という二つの原因が考えられて、まあいずれにせよ碌な人間ではないのですが、私は不愉快なときは不愉快な対象で頭がいっぱいになる凡夫なので、語ることをやめればちょっとはましになるかな?と考えた結果、というのが一つあったのではないかと。もっとも、ここ2年程の記憶力は本当に終わっていて、興味のない物事が全然覚えられないし、今何しようとしてたっけ?となることが本当に多いので、早く死んだほうがいいと思うのですが、まあそういうわけで本当の原因は思い出せないのですけど。まあ鬱に起因するとも考えられるし、発達の注意力散漫さに起因するとも考えられるので、まあ早く死んだほうがいいですね。
でも不愉快さがない生活*8では反骨精神的に頑張る原動力も得られないと考えるとちょっと不便かな、いやそんなことはない、おれは理想の生活を手に入れるぞよ、という感じ。おれのFFは反骨精神的に「殺すぞ」とか言いながら進捗している印象だけど、進捗より精神の安寧を得たい、おれはエピクロス派、目指せ隠遁生活という感じ。進捗なんてどうせ死ねば関係なくなるし、だったらせめて今を気持ちよく過ごしたいよね、というのがここ2年くらいのおれの考える理想です。そのためのNO倫理*9だしね。まあ救いはなかったわけだけど。
不愉快さを燃料に頑張ることの何が不健全かといえば、「おれは○○が嫌いなのでおれは○○にならない」ならまだしも、「おれは○○が嫌いなので、○○の対極にあるところの△△におれはなる」的自己規定*10をおれが行ってしまいがち、という非本質さに尽きます。なぜならば、それは結局おれがきらうところの○○によって自己規定をしてしまっているにすぎないから。まあ自己なんてどこにも存在しないし、好きにさせてくれという感じだけどね・・・。
不愉快さ、言い換えれば好き嫌い、がない生活が理想とさっきおれは言ったけど、でも嫌いがなかったら好きがない、というのは長年感じてきたところであり、にもかかわらず好きを作るために必死で嫌いを見つけようとしたら嫌いばかりが膨らんでいって好きを結局見つけられなかった上、そういった自己規定に疲れ切ってしまい、結局何物にもなれないまま疲弊した、なんて過去もあるから、要検討議題だな、なんて思った次の瞬間全部忘れてTwitter*11を眺めては鬱屈としているおれ、早く死んだほうがいいよ。
以上でやっと見つけた話題の一つ目「不愉快さ」を消化、ところがどっこい今日の私にはもう一つ話題がある。すごい。えらい。
そもそも話題の発掘ツール「不愉快さ」*12を見つけてしまったからには格段に物事を語りやすくなってしまい、いや、おれは誰なんだよ、というくらい饒舌に物事をかたってしまいはや1900字、気持ち悪い以外の感想が出ないわけだが、まあそんなことは置いといて。
高校の時に世話になった教員から「ジャズを同窓会にておじさんたちの前で『演奏させてあげても』いいよ 『伴奏者』は2~3人まででね」という手紙が来て、『』内の箇所に俺は腹を立てているのだけど*13(尤も無知に起因する上悪気がないといえば仕方ないのだが、そういう人間に聞かせるためにおれが演奏すべき曲は存在しない)、折角感情の起伏をあんまり感じられないおれが腹を立てることができたので、連中との関わりたくなさ以上に、マイク一本で殴り倒してやろう、という感じです。
マイク一本といっても足でリズムは出せるし、スキャットで前奏や間奏は作れるから、ジャズの美点「会話」を見せつけてやれないのは残念だが、他人様をあんなクソ老害共の前に連れて行って不愉快さの憂さ晴らしを手伝っていただく理由もないので、さらには他人様がおれとちがう生物学的な性別をもっているとしたらゴミ老害は十中八九それをガタガタいうだろうから(現に昨年ゴミ老害共は、旧X子高の流れを汲む高校と旧Y子高の流れを汲む高校共催の同窓会にて、旧X子高側出身の私に対して旧Y子高側の人間たちと写真を撮るようにと生物学上の性別とかいうクソつまらん理由で、しかもマイクで言われ、反論すらされてもらえず、いや、おれは旧X子高出身者として同窓会に来ているんだが、と思ったが小心者のおれは何も言わずに不愉快さとともに颯爽と帰宅した)、おれは一人で、マイク一本で、世界を変えられるかはわからないけど、少なくともクソゴミ共を殴り倒すつもりで、戦争を挑んで来ようと思います。待ってろよ5月末。ということで、見事にまた一つ不愉快さに起因して自己規定をしてしまった私はなんともつまらない人間で嫌になりますね。早く自殺したい。
なんだかんだ小レポート1つ分くらい、つまり3000字程も非本質を綴ってしまい、極めて嫌な気持ちになったので、足首ぐねっちゃった*14のを病院で診てもらって来ようと思います。
貴重なセンター試験準備のための休日を、12時に起きて浪費し、1時間弱かけてクソブログを綴った私、早く成仏できますように。大丈夫*15になりたいな。菩薩*16には死んでもなりたくない。あ、死ななきゃなれないけど。だって他人を救うなんて本当に勘弁だし、私は全人類を恨んでいるから、無根拠に、無意味に。
あ、今晩ちゃんこ鍋食べに行くの楽しみだな。非本質だけど。でも常に機嫌よく生きていたほうが疲れないから、楽しいこと考えてよう、死ぬまでの気休めに。死にたいと思いながら、今日もおれは、味がちゃんとしていて、美味しいご飯を、もりもりと食べて、死にあらがってきます。ふふ。
それでは早く死ねますように、二度とお目にかかれませんように。さようなら。
*1:全てに対して語ることをあきらめること
*2:つまり非本質的な茫然に溺れ本質から目をそらしていた
*3:名前を忘れかけたセンみたいですね。そんなこともない?
*4:非本質
*5:ちゃんと探求する余裕のある字数が与えられ得る
*6:これは日常茶飯事なのでその辺に機会が転がっている
*7:非本質
*8:理想的ですね
*9:これは俺の標語で、いわゆる一般的に認められている倫理を全て疑いなおして気持ちよく過ごそうぜ、とした結果虚無しか残らなかったけど、おれはいまだにこれにすがって生きています
*10:非本質
*11:非本質
*12:非本質
*13:前者は好意なのだろうがいうまでもなく老害そのもので腹が立つし、後者は無知に起因するのだろうがジャズの最大の美点「コミュニケーションできる音楽」であって全員主役、というのを一ミリも理解していないし(まあ向こうはジャズに興味ないのだろうから仕方ない)、さらには向こうさんのジャズへの無関心さが浮き彫りになる
2019/1/16
昨日も死ねませんでした。
こんばんは。
早く死にたいですね。
昨日は1時に寝て11時に起き、2時間程天井*1を眺めた後、昼食に焼豚250g*2のうち100gを無理矢理摂取し、2時間天井を眺めた後、腹が減ったので焼豚を100g摂取し、クソくだらない講義に対して3秒で読み捨てられるようなレポートを15分で適当に作成し、生活行為*3を済ませ、適当に見た目を整え*4た後部屋を掃除し、15分かけて登校し、10分遅刻して教室に入り、どこかで聞いたことがある気がする頭足類についてのクソくだらない講義*5を1時間強ぼんやりと受け、帰宅して玉ねぎともやし*6と豚肉*7を焼肉にして、涙を流し*8、電車に課金して割れた鏡を買いなおすついでにジャズのライブ*9に行って、Chet bakerはいいなあ バリトンサックスかっけえ ドラムの先輩下手になったな などと月並みな感想を手にして、打ち上げで有意義であるようなないような話を曖昧にかわして終電を逃し、先輩に多めに出してもらいつつ適当にタクシー*10でsyrup16gの「生活」「デイパス」らへんを一丁前に口ずさみながら帰宅して、家に角の小瓶とカナダドライが転がっているのを見つけ、いまジンジャーハイボール*11を飲みながら人生の中で指折りのどうでもよさのブログで、一文に約700字もつめこんでありきたりでどうでもいい一日の流れをむやみやたらに詳細に記録しました。早く死にたいな。君は死んだほうがいい。
今日は久しぶりにいい語呂を見つけてツイートしたところ、11ふぁぼ*12をもらってやや承認欲求が満たされると同時にそもそも本当は承認欲求が存在せず人間存在と関わりたくないだけの人格が不愉快な気持ちになりました。ああ、早く死にたい。
今日はライブがなかったら本当に図書館で本借りて終了、という感じだったので、やっぱり早く死んだほうがよかった。あ、本は借りたし読んだのを記録し忘れましたが案の定非本質そのものみてえな本でした。まあレポートのためだし、しょうがない。
そんなことより、クソくだらないクソみたいな日常を記録するために1000文字も、10分もかけて文字を打ち込んだことが後悔されて仕方ありません。早く死にたい。
ああ、やる気が出ないですが、今日こそは何かについてちゃんと考えねば・・・と思いますが、いかんせんやる気が出ないので、内省で勘弁してください、未来の私。死にたいな。
脈絡のある文章を書くくらいのやる気すら出ないので、適当に箇条書きします。死にたいな。
①音楽、救い、行ってよかったライブ、なぜならトランペットは救いだから
②早く死にたい
③早く死にたい
④早く死にたい
⑤早く死にたい
⑥今日も衒学クソ野郎に目的因*13と勘違いした作用因の話をされて不愉快だったので露骨に嫌な顔をしてしまった はやく哲学警察をやめたい あとカント読みましたって言って全集の一部しか読んでないところも嫌いです いさぎよく自分の無知を認めてほしい人、世の中にたくさんいることですね 早く死にたい
⑦推しが推せる
⑧Chet Bakerというかクールジャズはやっぱり救い 推せる
⑨発達、声量調節ができないので話し声デカすぎた気がした今日も 二度と言葉を発したくないがここは我慢
どうでもいいので早く切り上げます。こんなに一生懸命書いてまだ1700字なのは笑えますね。中身のない人間である私は昨日も中身のない一日を過ごしたのでこんなに無駄なブログを書いてしまった自己嫌悪に襲われていますが、きっと自己存在をむやみやたらに信じていると同時に自己にむやみやたらと期待しすぎなのでしょう。本当は自我なんてないのにね。
あったまるためにいれた酒が少しは回ってくれたようなので、今日こそいい夢見られるといいな。昨日は親と田舎の郊外にありがちなイオン的な店に行ってリアル鬼ごっこする夢を見たのであまり寝ざめ良くなかったな。あ、明日のバイトの飲み会嫌だな。ブッチしようかな。私の人生だって夢みたいに曖昧で不確かなものなのでだから、ちょっとくらいここらでいい思いしといてもいいんじゃないかな、お金はないけど。2月はバイト尽くしで不愉快だな。そういえば他人に伝達すべき話題がないからバイト以外で声を発さないせいでバイトに行く度声をつぶしてるのかもしれないな。リハビリ、頑張ろう。やる気も度胸もないけど。
10時間寝ても尚眠いの、早く人間やめたほうがいいな。
今日の文章の面白くなさは、酒のせいにさせてください。
全て責任転嫁するために、私は今日も酒を飲んだので。
それではさようなら、二度とお目にかかれませんよう、そして眠りから覚めませんように。それでは、各々、もう余命短いですが、よい夜を。早く死ねますように。
2019/1/15
特にこれといった語るべき事柄を見つけられないまま一日を無為に寝潰しました。
10時ごろ起きて、つまらない授業をぼんやりと過ごし、どうでもいいラーメンを食べて、Twitterでどうでもいい人間がどうでもいいことを言っている言葉の群れを眺め、寝て、起きて、バイトに行って、1時間かけて歩いて帰り、Twitterを見て不愉快なきもちになりました。まさに無駄そのものですね。
余談ですが、「Twitterを見やすくするやつ」を使い始めてから本当にタイムラインが見やすくなりました。ぼんやりと眺めているには最適です。まさに無駄ですね。
無為に時間を重ねるのは無駄そのものですし、それが苦痛を伴ってまで行うべきことだとは思えませんが、一方で自殺するほどのやる気もありません。
早く死ねますように。
希死念慮を肴に飲む酒はうまい
こんばんは。そしてさようなら。あるいは初めまして。
特に語るべきことがないので、極めて不愉快ながら一発目から自分語りをします。
私は2年ほど前から、考えを言語化することをやめ、全て自分の胃の中に押し戻してどろどろに溶かしては再吸収し続けることに決めました。なぜなら言語化することで私は自分を日に日に追い詰め、思考する能力は失われ、いわゆる「抑鬱」状態に陥った私は、そのような状況に陥れた自分自身から逃れるため、そして現在の自己を正当化するために必要なことは、何よりもまず「非言語化」だと考えたからです。
一方、現在の私は、思考すること自体を放棄し、つまらない茫然に溺れて暮らしを行うために北海道へ逃れてはや10か月、東京や京都で過ごした耐え難く無限にも感じられるような日々から決別し、まことに没生活的に昨日もつまらなくとりとめがない一日を終え、まことにどうでもいい今日を迎えています。そして、再吸収され続け腐敗しきった、誰かのいうところの「非言語的もやもや」を臓物の奥底に、さながらヘドロのようにためこんだ私は、壁に無限とも感じられる言葉を投げかけ続けた私よりもはるかに健康的に、希死念慮を抱いています。飯の味もするし酒もうまい、夜は12時間も寝て、〇大に受からなくたって存在できている、といった世界線で尚死にたがっている。このような事実は昔の私からしてみればまことに不愉快極まりないであろうと思います。
かくして、現在の私は何一つとして語るべき対象も語るべき内容ももちません。つまり、没人格的であって、現在の私が行っていることといえばクソくだらない労働、排泄、摂食、睡眠くらいのものであるような人間、一言で言えば非本質です。
ここまで書いていて早くも自我の存在*1が感じられて不愉快になってきたので切り上げます。人類は可及的速やかに滅びて頂ければと存じます。
長々と書きましたが、言葉を発することのリハビリテーションのように、毎日とは言いませんが、何かしら語るべき対象を見つけるため、自己目的行為として、言語を用いる練習をしていきたいと存じます。そこに自我の存在*2が垣間見えることは不愉快ですが、乗り越えたほうが進捗がありそうなので。なぜなら私は仮にも大学生なので、いい加減言葉を使わなければ。フリーターじゃねえんだよ。