曖昧な生活

生きる気力がありません

推し

推しが死にました。2か月前、発売開始日にチケットを購入して、ずっと楽しみで、私の語彙でいうところの生き甲斐になっているライブの半月ほど前に。

wowakaさんは、今も昔も、私の救いなので。

こんなに世界を愛そうとして、世界を受け入れようとした人を、世界はこんなに簡単に裏切ってしまうのか。

ふうん。

でも、wowakaさんに救われた我々には、あの人が愛そうとした世界を呪うことなんてできない。

なんてこった。理不尽な。

救いがない。いや、wowakaさんが救いの一つだった世界なのだから、救いは減ってしまったのだけど。

 

私が価値判断を進んで行うことはしたくなくて、これはなぜかといえば私が懐疑論者の立場を取りたいと願う者であるからなのだけど、判断保留なんて言っていられないくらい、今の私の感情は揺れている。wowakaさんを失ったこと、あの人のいない、あの人が新しい救いをもたらすことのない世界への悲哀。wowakaさんを、過去、殊更には、もう7年も前だろうか、あのときに生徒として過ごしていた、どうでもいいお前たちの、いわゆる青春時代(笑)の象徴として彼を勝手に祭り上げて、「中学生の頃めちゃハマってたwowakaさんが死んじゃったの!ショックやばい~」なんてポエってみて、wowakaの死を悼む自分に酔いしれることであの時代に思いを馳せて勝手に気持ち良くなって、「あの時代」の後のwowakaを暗に全否定して抹殺した生ゴミ共への怒り。wowakaがいなくなった世界で、きっと今後また新たに「推し」「救い」なんて言って拠り所を何とか見つけて、wowakaのいない世界でそれなりに生きていきそうな自分への苛立ち。あらら、書いてみたらなんて心が揺れてるんだろう。世界に関心をもてない、なんて言って気取ってたおれは誰だったんだ。

 

one-Me Tourの録音聞きながらこんなこと考えてごめんなさい。

どうやって世界を愛せるかな。

いつだって転がり続けるんだよ。

「あなた」にはもうどうやったって「僕」が見えなくなっちゃったね。少し元々抱いていたあの歌詞へのニュアンスからはズレるけど。

 

ローリンガールとか、裏表ラバーズとか、ワールズエンドダンスホールとか、そりゃ厨房だった自分がそれなりに入れ込んでた過去もあるけど、ロックなんて聞かなかった私がロックを聴くようになって、生ゴミ厨房時代からしばらくして、ヒトリエを再発見して以降、追いかけていられた時間が、あんまりに短くて、まあ到底無理だとはわかっていてももっと早くあの救いをおいかけられていたら、生で一度でも見れていたら、なんて反実仮想は何も誰も幸せにしてくれないよね。でも、ボカロをいじってた頃のあの人の音がバンドに落とし込まれて、あの人自身の声であの人自身の言葉を表現しているのを聞いた時、「歌下手だけど、なんて救われるのだろう!」と思って、世界に対するルサンチマン太郎御年21であるところの私は一発で惹き込まれて、もう4桁回はアンノウン・マザーグースを再生しているし、ボカロがリードやってる動画のほうの音も、ヒトリエだ!打ち込みじゃない!なんていちいち感動してやっていたの、あれが救いじゃなかったら何だってんだ、と思っているよ。つまり、絶対に忘れられないということ。原体験、主観的に言えば神の存在にビビっときちゃった宗教者の体験みたいなものだもんね。

 

まだまだ聞き込める録音が幸いなことにたくさん残されているから、私はそれらと生きていこう。それと同時に新たに救いを創りだせるように、もっと沢山音楽して、磨かなきゃ。大丈夫、あの人がいなくたって私たちにはあの人の音があるんだよ。

 

あの人について、世界で、せめて私だけは、過去形では語らない。

 

1浪の冬にりななんが死んだのすらいまだに受け入れられてない私が受け入れられるとは、思わないけれど。私の推しが3年で2人も、若くして死んでしまうと私死神か?なんて妄想してしまうけれど。

 

泣けたら、せめて楽になるんかな。や、心なんて一生不安さ。

 

推しの代わりに死ねたら、と思うのはこれで2度目だし、死にたいと思うのはどうせ一生なのだろうし、妥協じゃなくてルサンチマンたることが私であることなんだと思っていたい。

 

今日の文章は、真っ白な頭で書いているから、論理がすべて破綻していると思うけど、これは私が外界からの刺激に対して反応したことだから、ひとつの生存記録として。ああ、なんて価値がないんだろう。罠で価値なんか存在しないか、最初から、概念としては。規範なんて私のモノだけ世界にあってたまるかって感じ。あ、モノだけ世界だから、実体を持たなくなったwowakaは、とはいえ音として存在し続けるから永遠になったものだと思っています、私は。deviceの問題はあれど。

 

おなかがへらない、眠れない

そんな一日が今日も来ただけ、大丈夫

 

推しの存在に感謝。


推しの不在は存在しているからね、在らぬじゃないから。